人生には、どんなに時間が経っても色褪せない「痛み」があります。
51歳になり、人生の節目を迎えた今。私が一番に向き合わなければならないのは、13年前の、あの夜のことです。
夜中1時の静寂
パート先の飲み会から帰り、夜中1時過ぎに玄関の扉を開けたとき。 そこに置かれていたのは、3歳の娘が書いた、辿々しい文字の手紙でした。
「ママおかえり。たのしかった? あしたはいっしょにねようね」
その瞬間、私を襲ったのは、独房に放り込んでほしいほどの罪悪感と羞恥心でした。 お酒の匂いが混じった自分の吐息が、たまらなく汚らわしく感じ、膝から崩れ落ちる権利すらない。 私は「理想の母親」という箱を守るフリをしながら、自分の欲望のために、娘の清潔な世界を土足で踏みにじっていたのです。
「仕事」という名の免罪符
その罪を隠すように、私は仕事に没頭し始めました。 店長になり、スタッフに慕われ、数字を出す。「有能な自分」という鎧をまとうことで、私はあの日、玄関で手紙を読んだときの自分から目を逸らしました。
「私は頑張っている。家族のために代償を払っている」 そう自分に言い聞かせ、夫を「ATM」と呼び、向き合うべき夫婦関係からも逃げ続けました。 でも、それは努力ではなく、卑怯な「すり替え」に過ぎなかったと、今はわかります。
ちゃんみなが壊した、13年の「嘘」
そんな私が、なぜ今、51歳で「自分に戻る」なんて言い始めたのか。 それは、ちゃんみなという「リアル」を突きつける化け物に出会ってしまったからです。
「ダメなままでいい」 その言葉に、20年間蓋をしてきた私の醜い後悔も、アホな失敗も、全部さらけ出していいんだと許可をもらった気がしました。
【結び】
このブログでは、これから少しずつ、私が20年かけて積み上げてきた「嘘」と、そこからの「再生」を綴っていきます。
かつての私のように、何かの代償を払うために自分を殺しているあなたへ。 51歳、どん底を知る私と一緒に、新しい扉を開けてみませんか。
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